三浦春馬さんの訃報から3週間。
ようやく落ち着いてきました…笑
体調も長く続いた頭痛がおさまって楽になりました。
芸能人の方の訃報で、こんなに長く心が揺れたことはありません。
基本的に芸能人に興味のない私が珍しく心惹かれた人が、約10年後にはこんな風にまた心に残ることも、こんなに心が揺さぶられることも、決まっていたなんて思いたくないなあ。。
「自分の本質を生きること」
このBlogの大きなテーマのひとつです。
「どうバランスをとったら、心地よく自分の本質を生きることができるんだろう、楽しく表現することを続けられるんだろう」
私の心の底でずっと流れているこのテーマを、彼の死はさらに深く考えるタイミングになってしまいました。
この3週間、ずっと考えていました。
環境、サポート、心の感覚…何があったら、彼はあの選択をしないでいてくれただろうかと。
セッションを多くしてきた中で、「家系として流れてきて、無意識に受け継がれてきているもの」は本当に膨大で、ここから自由になるには大変なパワーがいることは分かってきました。
そもそも無意識なので、意識すること(気付きを起こすこと)がまず難しく、かつそれを「普通、当たり前」と思って受け入れてきているので、他の価値観と比べないと明確にその気付きを腑に落とせなかったり、でもその比較癖に逆に苦しめられたり…
「真摯に自分を知ろうとすること」が大切なのですが、大抵の場合「(善な自分はいいけど特に悪の)自分は見たくない」と思っているので、惰性で心を動かし続けてしまうのです。
悪の自分=こんな自分はイヤだと感じる瞬間。受け入れたくない自分です。誰しも消し去りたい過去の行動(笑)とかありますよね。
そんな自分をまた見つめるくらいなら、SNSやテレビでも見ていたい。仕事に没頭していたい。対象は何であれ逃避したい。その方が楽だから。
彼の家系に流れていて、彼が受け継いだものは分かりませんが、彼に家族でも恋人でも、善も悪もありのままの自分を全て受け入れてくれる温かい場所があったら、それを見せることは弱さではないと知っていたら…何かができるから愛されるわけではなくて、愛は無条件なのだと感じる瞬間があったら。。
仕事に没頭することで見ないで済んでいたものが、今のこの社会状況で見つめる時間ができてしまったのかもしれません。(個人的には過労も一因と感じますが)
真実は分かりません。
でも本当に哀しいし悔しい。
私の心がこの感覚を思い出す度に、何度も見つめています。この感覚の奥にあるものを。
かつて、ある人がニーチェに尋ねたことがあった。
「あなたはいつも笑っていますね。とても楽しげだ。本当にそんなふうに感じているのですか?」
ニーチェはいった、「さて、尋ねられたからには真実を話さないといけない。私は泣きださなくて済むように笑っているのだ。泣き出す前に、私はそれを笑いで押さえる。自分の内側で、それを止めてしまうのだ。私が笑うのを見て、人は私が幸せだと思うに違いない。でも私が笑うのは、ひとえに悲しくてたまらなくて、笑ってほっとしたいからなのだ。ときどき、自分を慰めるのさ」
内面と外面は違う。あなたが外側に貼り付けたものに他人が騙されるのは仕方ないが、問題なのはあなた自身がそれに騙されていることだ。
あなたは自分を、他人が見ているイメージのとおりだと思っている。
あなたは他人の目を通して自分を見ている。決してありのままの自分、本当の自分を直接見ることはない。
人びとには、自分自身についての直接的な理解がない。自分自身を理解する直接的な体験がない。この体験は起こるはずだが起こらない。というのも、あなたがそれから逃げようとしているからだ。
私にできることは、まず私の心が自由に、ゼロに戻ること。毎瞬、毎瞬。
そして自分の本質をもっと深く理解し、誰の理想でも期待でもない、自分の人生を生きること。
書くこと。
ご縁のある方にセッションなどを通してその時にベストなメッセージを届けること。
私が誰かを「助ける」なんてことはできませんが、もし誰かの人生の1ページの、ちょい役として登場することになっているなら(笑)、淡々とその役割をこなしたい。
よりもっと深く、「自分の本質を生きる」ことをみていきたいし、そのサポートになるようなことであれば何であれやっていきたい。
今までこのBlogに書いて伝えてきたことを、もっと深く表現できるようになりたい。
改めて「自分のやりたいこと」が明確になりましたし、自覚が深くなりました。
三浦春馬さん、ありがとう。
心から今世でのご縁に感謝しています。
というわけで、Blogは変わらずに更新していきますので、どうぞよろしくお願いします!
やっぱりセルフケアが全ての基本ですね。
来週もちょっとお休み更新があるかもしれません。どこにも出かける予定はありませんが、新盆なので。
春馬さん記事。