前回の記事の続きです!
2011年3月11日。
その日私は仕事がお休みの日でしたが、新しく家庭教師の生徒さんを紹介されてお宅にお伺いする日でした。
早めに準備して行こうと思い支度をしていたら、
急に強い眠気がきて、1時間ほどソファで寝てしまいました。
そして起きて「もうこんな時間!」と慌てて最後の身支度をしていたら、
地震がきました。
聞いたことのない、家具の揺れる音。
頭がパニックになり、確かモノが何も飛んで来なそうな廊下に逃げました。
とりあえず、謎の眠気よありがとう…!(笑)
もし予定通り早く出発していたら、移動中の地下鉄で地震にあい、
帰るのはものすごく大変だったと思います。
彼とはすぐに無事を確認し合うことができ、
彼は渋谷から当時住んでいた世田谷まで歩いて帰ってきました。
一日中緊急地震速報がなり、余震がしょっちゅうあり、
いつもの生活がどれだけ有難いものであるか身にしみました。
そしてますます「今の仕事をしている場合じゃない」と感じるようになり、
夏で退職します。
本の原稿も仕上がり、秋に無事「イライラしない知恵」が出版されました。
そしてやっぱりカフェの仕事をもう一度したいと思い、
秋に面接を受けたら今度はあっさり合格。
家庭教師も続けながら、さらに1:1で教えられる塾講師を復活させます。
その頃の私は、創造の苦しみを味わい、さらに販促の大変さなど色々見て、
精神的に書くことから遠ざかっていました。
心についての本を書くこと、そしてご縁のある方の心を明るく自由にすること、
それが私の望みだったけれど、
なんだか違う流れにのってしまったかのような、なんともいえない感覚でした。
そして何より、「本を書いて生きていくなんてムリだ」と感じてしまっていました。
夢が叶ったのに、夢に破れたみたいな状態でした(笑)
じゃあ私には何ができるんだろう?改めて心に問うことになります。
私が無理なくできて、喜ばれる仕事は何なんだろう。
そしてようやく、家庭教師の仕事=1:1でメンタル面もサポートしながら指導をして、
時に人生相談も受けながら、その生徒さんの方向性を一緒に探り、
これからの人生の岐路になる受験をサポートすること、
その仕事が本当に好きだということに気付いたのです。
(でも受験業界そのものはあまり好きではないという矛盾・笑)
ずっとサブ的ポジションにいたけれど、心の中でメインへと変わりました。
この仕事を続けていることがあまりにも自然なこと過ぎて、
気付いていなかったのです。
自分に向いている仕事は、
・無理なくできる
・喜んでその仕事を深めていくための勉強ができる
・周りに喜ばれる
このどれかひとつでも当てはまれば、向いているといえるのかもしれません。
私と同じように、「あまりにも自分にとっては自然なことすぎて」、
それが周りから見れば向いているし得意なことであるということに、
気付いていない場合もあるかもしれません。
(自分の一部=日常化してしまっているということ)
1:1で教えられる塾講師は、私にとって理想的でした。
個人の家庭教師で一番苦労するのは生徒さんと出会うことなのです。
(どんなに長くても高校3年生で卒業してしまい、入れ替わりも早い)
それを会社がやってくれて、指導に専念できる。
でも基本的に、長期のお休み以外は塾の仕事は夕方~夜です。
また、生徒数も変動するし急に授業がキャンセルになることもあります。
つまり給与が変動しやすいのです。
昼間は働けないので、そこを安定のカフェの仕事で埋める、という感じでした。
そうして楽しくどちらの仕事もしていましたが、塾の側から、
「こちらの仕事に力を入れて欲しい」と思わぬ要望を頂きます。
ポジションを与えられ、
さらに給与体系も社会人プロ講師としての別の体系になったのです。
そんな体系があることも知りませんでした(笑)
本当に、「この仕事では十分には稼げない」というのはただの思いこみでした。
喜びをもって、この仕事をしたい!
もっと貢献したい!という強い決意が生まれた時、道も開けたのです。
そうして、カフェをやめて塾講師だけでやっていけるようになりました。
(家庭教師もご縁のあったご家庭の区切りのいいところまで続けました)
週に4日くらい働くという私にはベストなバランスで、
彼との時間も作りやすくなり、
本当に好きなことだけやっていけるようになったのです。
生活のための収入と、自分の時間、彼と過ごす時間の、
ベストなバランスがやっと見つかりました。
27歳の時、21歳の時からずっと私を見守ってくれて、
サポートしてくれていた彼にプロポーズされて、結婚しました。
20代の最後には、改めて、昔の自分の心が
どれほどたくさんの思いこみに支配されていたかということに
深く気付くことができました。
〇〇でなくてはいけない、
〇〇はありえない、
〇〇は無理だ、
〇〇では生きていけない(稼げない)、
〇〇であるべきだ、
もうありとあらゆる自分の仕事に関する価値観が、
生きるということそのものに対しても、無意識に制限的でした。
全て思いこみだったんじゃないかというくらい(笑)
自分のあり方を、(社会や世間の価値観・今までの経験から得たモノ・家族・友人の価値観等を経由して)自分ですごく縛っていました。
それまで私にずっと見えていたイメージ、
それすらも自分で制限をつけていました。
本を書くこと、何かを話して伝えること、
その目的は「ご縁のある方の心を明るく、自由にする」ことであって、
手段はそれに限る必要はない。
私にとっては塾講師の仕事も、その一部だったのです。
売れることにこだわらず、私が本当に書きたいこと、
伝えたいことをまっすぐに書きたい。
ただ書くために書きたい。純粋に書く喜びをもう一度取り戻しました。
今何をしているかということより、
その行動の背後にあるエナジーの方が大切だと感じるようになりました。
「私たちは、大きいことはできません。
小さなことを大きな愛をもって行うだけです。
大切なのは、どれだけ多くをほどこしたかではなく、
それをするのに、どれだけ多くの愛をこめたかです。
大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、
それを与えることに、どれだけ愛をこめたかです。
私たちは、成功するためにここにいるのではありません。
誠実であるためにここにいるのです」
マザーテレサの言葉より。
20代前半はまだまだエゴが強くて、
「自分が」何かをするんだ、達成するんだ、現実にするんだと
ある意味ひとりで戦っていたようなものでした。
でも、私自身は、「全て私以外のものからできている」のです。
体も、食べるものも、身につけているものも、知識も、
内側から湧いてくる「◯◯したい!」というエナジーも、
全部「私のモノ」じゃない。
(自分が何かをしたいというエナジーは、
内側から「勝手に」湧いてくるモノですよね。
自分にコントロールできることではありません。
私にとっては初期設定で「与えられている」感覚です。
逆に誰かに、または自分に、「何かをやりたいと思わせる」ことは至難ですよネ)
全ては繋がっている。
私は何かを外に表現する媒体にすぎないんだ、と。
その手段のひとつとして「仕事」があるだけなんですね。
仕事は「自分という存在が何を表現しているのか」が、
分かりやすい手段だからこそ(周りから評価までされてしまう)、
思いこみもたくさん入りやすいんです。
自分の本質を表現する手段は他にも山ほどあります。
人生毎瞬そうだといってもいいくらいです(^o^)
私ひとりが何かをしようともがいても、
自分の本質に合っていないことは上手くいかない。
人生のタイミングはコントロールできない。
最終的に何が自分にとって良いことなのかも、今の自分には判断できない。
大きな命の流れはもともと自分の中にあって、
自分の正直な思いを大切にしながら
そのリズムに耳を澄まし、身を委ねていく方が、
ずっとラクに心地よく生きられる。
そんなことを実感することができた20代後半でした。
次回に続きます!