仕事は、「どう生きていきたいのか」というその人の価値観がとてもよく表れます。
多様化が進む今、誰にでも当てはまるパターンがあるわけではなく、
「正解」も「こう生きれば安心」という見本もなく、
仕事・ひいては社会とどう関わっていくか、そのバランスは、「自分で見つけ、創りだすもの」だと感じています。
あなたの心は何に喜びや価値を感じるのか、それはすでに心の中に「あなたの本質」として備わっています。
私自身の経験を書きたいと思いますが、これはあくまで「私が私の本質を知り、表現しようとしてきた過程」です。
私が書くことと生きることの両立に試行錯誤した過程です。
だから特に参考にはならないかもしれません(笑)
あなたには、あなたの本質があります。
あなただけのバランスがあります。
それをどうぞ大切にしてくださいね。
まず、小さい頃の夢から。
これは「本を書く人になりたい」でした。
とにかく読書と絵を描くのが好き。
漫画や小説も、小学生の頃からたくさん描いていました。作文が得意でした。
学校の先生に「将来は小説家だね」と言われたことがとても嬉しかったのを覚えています。
やはり小さい頃に好きだったことには本質や方向性を知る大きなヒントあると思います。
その後、小学5年生あたりから心理学の本を「なぜか」読み始めます。
(他にも『男と女の心が底まで見える心理学』とか読んでいました笑)
その頃既にイライラしやすい性格のせいで慢性的な腹痛がありました。
週に3回くらい、もしくはそれ以上、腹痛が長いと3時間くらいくるのです。
でもトイレに行っても何がでるわけでもなく(笑)
いつのまにかおさまる、その繰り返し。
その苦しさから、心理学の本を手に取ったのかもしれません。
心について、こんな考え方があるんだ!と感動しました。
そして無事に中学受験を終え…いや、終えてない(笑)
母校となった都内の女子校に受かった次の日、別の学校を受ける予定で、
私としてはそちらの方が行きたかったのですが、
夜中からあの腹痛がやってきて、正露丸を飲んだり色々したけれど朝になっても腹痛はやまず、泣く泣く受験を諦めたのでした。
こっちの学校にしなさい、という天からの采配?ですね…
結果、すごく苦しむのですがw
中学に入学、同時に「親友ができない」という悩みにぶつかります。
今まではみんなと大体は仲良くできていたのに、
それぞれの自我が強くなってくる時期、今までのように友達を作れませんでした。
そしてあることをきっかけに、もう学校に行きたくない、という鬱のような状態になりました。まだ入学して1ヶ月くらいなのに(笑)
表情がほとんど変わらなくなってしまいました。
それでも、親とも色々あって親に言ったところで分かってもらえないし、
休ませてもくれないことは明白で、行くしかありませんでした。
(学校にはちゃんと行かなければならない、と思いこんでいたんですね)
一緒にお昼を食べる友達が見つからないかもしれないということは、
あの頃の私には恐怖でした。
唯一の心の救いは、すでに小学校の頃から読んでいた心理カウンセラーの金盛浦子さんの本でした。
毎朝、電車の中で金盛さんの本を読んで自分を励ましてから学校に行く。
帰りの電車でも読んで、心を慰める。
今思うと自分の心と対話するという姿勢を、この時に身につけたように思います。
そしてだんだんと表情が戻り、
「みんなに好かれなくてもいいや」という楽な心になり、
色々な思いこみが少しずつ外れていきました。
そして夏休み、4泊5日の夏季合宿がありました。
案の定色々あり、最終日前日夜にストレスMAX、帰りたすぎて足にじんましんがでました。
無事に帰ってホッとしたのもつかの間、またすぐいつもの腹痛に襲われ、
今回は1日ガマンしても去る気配がありません。
仕方なく病院に行くと盲腸で、即入院即手術。
1日ガマンしたせいで、悪化していたのでした。
心の状態がどれだけ自分の体に影響を与えるのかを、身をもって感じました。
じんましん、帰ってすぐに盲腸…
これからは心を、素直な感覚を、もっと大切にしよう。
無理しないで、我慢しすぎないで、
自由でありたいと心底思ったのです。
「もっと自由に、ラクに生きたい」という気持ち。
これがその後の私の中に、とても大きなエナジーとして育っていきます。
その後は親友もできますが、友人関係でのトラブルは多く、
平日の学校生活で全てのエナジーを使い果たし、土日は基本的に寝ているだけ(笑)
2日連続で出かけるなんてとんでもない!状態。1日外に出たら1日は休む。
今思えば、エンパスの性質(周りの人の感情に敏感で、自他のエナジーの区別がつかなくなったり、影響を受けすぎてしまう)が強かった私にとっては、まだ周りとしっかり境界線を引くこともできず、大勢の人がいる場で過ごすこと自体がキツかったのだと思います。。
金盛さんをはじめ、たくさんの心理学の本などに救われたので、
将来は心理カウンセラーになりたいと思うようになりました。
心理学部のある大学に行きたいと思い、色々調べたりしました。
でも勉強も適当だった(笑)ので、下から数えた方がはやいくらいで、
特に何かができたわけではありませんでした。
でもようやく中学2年の終わり、深く英語に興味がでて、
「これが分かれば世界中ほとんどの人とコミュニケーションがとれるんだ!」とワクワクし、 頑張るようになりました。
親を説得し、英会話に通わせてもらうことにしました。
(ここで私の英語好き、言葉(言語)好き、何かを伝えたいというタネが見えるのですが、深くとらえていませんでした)
そしたらその英会話教室に同じく通っていた大学生と恋に落ち(笑)、
半年くらいかかってお付き合いできることになり、彼との出会いで、私の心は深く深く満たされるようになりました。
今まで感じたことのなかった「愛されている」という感覚。
まだ心が未熟だったので、それゆえのトラブルもたくさんあったのですが、彼は広い心で受けとめてくれました。
私が浮気していったん別れて戻ったりしながらも、高校3年の夏までお付き合いしました。
それは恋愛を通して、深く自分の心をみるという修業でした。
高校3年の夏、辛かった時に本を通して支えてもらった金盛さんにお礼の手紙をだしました。そしたらなんとお返事を頂き、今でも大切にとってあります。
この時はおそらく金盛さんと同じように心理カウンセラーになりたいと書いたような。
そしていよいよ大学受験。
コツコツやってきた英語勉強が身を結び、総合でも学年1~3位あたりをキープし、
予備校に行くことなく自学で頑張りました。
(この時の経験=受験が、私にとってはとても楽しいものでした。故に、本を書きたいという思いも「勉強法の本を書きたいな」と思ったりしていました。心のことはもちろん書きたいけれど、まだ若すぎて無理だろうと思っていたのです。これもまた思いこみでした)
心理学部に行きたい、じゃあどこがいいんだろうと思ったら、
上智大学の心理学部が一番人気もランクも高かったので、第一志望はそこに設定。
そこに向けて勉強していればMARCHは余裕だろうと思ったからです。
しかし二次試験に小論文があることがわかり、
予備校に行っていなかった私はこの対策までは間に合わないと判断、
第一志望を上智大学の法学部に変えました。
この時はちょうど法律がブームみたいな雰囲気もあって。
(はい、ここで私は自分の本音を外側の条件により無視しています。笑
でも法律もちょっといいなあと思ったのは事実です)
今度は体調には気をつけるぞ!と気合も入ります(笑)
無事に合格し、上智大学に入学しました。
入ってすぐ、大好きなカフェのアルバイトと家庭教師のアルバイトを始めます。
(家庭教師はこの後10年以上続けることになりますが、始めた時はまさかそんなに続くとは思わず。。ただ英語や世界史、勉強法について研究するのが好きだったのと、人に分かりやすく伝える・教えることが好きだったのです。ここにもタネがあり、私は迷うことなくやっていますが、自覚がうすい。笑)
そしてここでまた天の采配があります。
心理学部ではなく、法学部に入ったことで、
私は今でも忘れられない人とあっという間に恋に落ち、そして失恋します。
この時の恋のおかげで、私は人間関係には誠実さが一番大切だと心底感じることになりました。その時の私に欠けているものでした。
そして法学部に入ったことで、論理的な文章力を鍛えることになりました。
本格的に法曹を目指そうと司法試験の勉強を始めました。
(しかしこの「法曹を目指す」ことは失恋して何の目標もなかった自分を埋めるため&「せっかく法学部に入ったんだし、かっこいいし、稼げそうだし、一生使える資格だし」という条件から入ったものでした(その後お付き合いした人に望まれたことでもありました…こういう他人軸パターン要注意です)。
本音はやはり本を書きたい、心について深く知りたい、だったのです)
さらに、彼に会いたくないから大学での居場所がなくなったように感じていた私は、
どんどん社会人の方との出会いが増えるようになります。
いろんなセミナーにも行くようになり、ついにひすいこたろうさんと出会います。
そして、その時の私に書けるテーマ=恋愛を通して、心についての本を書く、という夢が叶ったのです。
現実は想像の上を軽く超えてきます(笑)
この時、私はまだ21才。
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2019年春に増補改訂版としてリニューアルされました!
さて、思わぬ形で「本を書く」という夢が叶ってしまいました。
そして感じはじめます。
「そうだ、私は本を書く人になりたかったんだ。心のことについて、もっとたくさん書いていきたい」と。
そしてあっさり司法試験を受けるのをあきらめ、就活もそれを理由にしていなかったため、どこにも就職せず卒業となりました(笑)
就活は、本当にピンとこなくて。。
どこか会社に勤めて、例えば9時5時で働いているイメージが全く!!わかなかった。
向いていないことが分かっていたんですね(笑)
唯一、本好きの点から出版業界はいいなあと思いましたが、難関だしチャレンジしませんでした。それに、私は書きたい側だったから。
そんなこんなしているうちにひすいさんたちと本を作るのが楽しくなってしまい、
就活について真剣に考えることなく終了。
親との関係も高校生の頃からは良くなっていたので、私の意志を尊重して自由にさせてくれました。
さて、でも私には本を書くこととともに、ひとつのビジョンがずっと見えていました。
それはたくさんの人に、何かを話して伝えているイメージです。
あとは個人的にカウンセリングのようなセッションをしているイメージ。
(これは現在もしています)
だがしかし!私は子供の頃からあがり症、恥ずかしがり、できれば目立ちたくないタイプでした。
クラスのみんなの前で何かを発表するとかすごくイヤだったタイプ。
ひすいさんたちのおかげで、出版記念パーティやイベントなど色々ありましたが、本当に緊張しました(笑)
だからなぜこのイメージが湧くのか、自分でも謎だったのです。
でもそのビジョンは変わらずにずっとありました。
日本中(世界中?)を何か講演?しながら旅しているイメージ、
本を書いているイメージ。
私はその内から湧きでるビジョンを信じ、 準備をしようと決めました。
それは私を常に一番ワクワクさせるものだったからです。
まず人前で話すことに慣れなきゃいけないな、と思い、
卒業と同時に塾講師の仕事を始めました。
今までは家庭教師(基本的に1:1)だったけれど、塾講師となるとけっこうな人数の前で話すことになります。
配属となったところで中学生の英語を担当しましたが、最初はやはり上長からダメだしをくらったり大変でした。
仕事はこの塾講師と、家庭教師を続けました。
どちらも「分かりやすく伝える、話す」ことが好きな私にとってはとてもやりがいがあり、特に家庭教師ではメンタル面のサポートに力を入れていたので、
心についての側面も関係していて、私にとっては辛かった自分の学生時代を癒すような、授業の後はむしろさらに元気になっちゃうくらい、楽しめる仕事でした。
(でも私にとってはまだサブの仕事のイメージでした。大きなビジョンは別にあり、その準備というような感じ)
これは私が実家暮らしだったからこそ成り立った選択ということもあります。
そして塾も家庭教師も基本的に夕方から仕事なので、
それまでの時間には好きに文章を書くことができました。
そしてこのフリーダムな生活だったからこそ、後に旦那さんとなる彼とのご縁が繋がりました。
彼と出会ったのは本が出る少し前。
テレビ業界で休みも不規則かつコロコロ変わる、夜勤もあったりして忙しかった彼に私が合わせて一緒に過ごす時間を重ねていきました。
私が普通に会社に勤めていたらおそらく会う時間はほとんど作れなかった、というかお休みが全く合わなかったと思います。
彼もその不規則な生活のせいで数年恋愛から遠ざかっていた感じだったので(笑)
色々ありながらも、出会ってから9ヶ月ほどたってからお付き合いすることになり、
彼と出会ったことで私の恋愛・パートナーシップに対する考え方がさらに深まりました。
そしてやっと前身となるBlog「知的モテ」を2008年の終わりにオープンします。
毎日更新を目標に、コツコツと恋愛を通して自分の心と向き合うことについて書き始めました。
書きたいこと、伝えたいことがたくさんあり、毎日書くのが楽しかったです(*'ω'*)
1年ほど続けたところで電子書籍化しました。
Blogを通してイベントなどもするようになり、
恵比寿の今はなきライティングマテリアルカフェを中心に、
京都や大阪にも何度も行かせてもらいました。
旅をしながら話して伝える、というビジョンが形になり始めます。
人前で話すことにも慣れてきました。
そして2年ほど経ち、2010年、彼と同棲を始めることになりました。
そして分かる生活費の大変さ(笑)
家賃約半分と食費を出すことにしたのですが、今までのアルバイト感覚ではなかなか大変です。とりあえず稼がなきゃ、と仕事について考え直すことになります。
(この「とりあえず稼がなきゃ」という思考は本当に制限的で危険です。笑)
でも家庭教師を増やすには限度があり、塾講師もいったん引っ越しを機にやめてしまったので(当初の目的・人前で話すことに慣れることはクリアしたのと、やはり家庭教師の方が納得のいく指導ができたため)、
学生時代にしていたカフェのアルバイトをまた始めようかなと考えました。
でもなぜか面接で落ちまくり(笑)、
そして環境の変化もあってか百日咳にかかったりと、とにかく体調を崩します。
しばらく思うように外で働けませんでした。
しかし本に関しては話が進み、今までの自分のイライラしやすい性格について、
それを克服した道のりを本にしたらどうかということで、色々と書いたりしていました。
そして秋になってから塾業界の裏方=事務の仕事につきます。
初めてのフルタイム!(笑)
自分がずっといた業界だし、こっちからのサポートも楽しめるかもと思ったのです。
ご縁のあった家庭教師の仕事はお休みの日にまだ続けることにしました。
(そう、ここでもまだ家庭教師を続けているのです。私にとっては心が深く満たされる仕事でしたが、まだこれをメインにしようとは思えていません。家庭教師だけじゃ生活を成り立たせるほどは稼げない、と思いこんでいたのです)
フルタイムの仕事は、保険も払ってもらえるし、最初は良かったのですが徐々に息苦しくなっていきます。
「私のやりたいことはこれじゃない」という感覚。
魂の一部が死んでいくような感覚。
生徒本人と特に多く話せるわけでもなかったので、
今までしてきたメンタル面のサポートという側面もなく、
家庭教師のような充実感を感じられませんでした。
ただ、組織に属すること(仲間がいること)の楽しさ、楽さはありました。
多くの人の感覚が分かるようになったので、決して無駄ではなかったし後悔もしていません。
さらに私を忙しくさせていたのが、お休みの日にまだ残っていた家庭教師と、本の仕事でした。
仕事は昼からだったので午前に書いたり、夜帰ってきて夜中に書いたりと、
この時期はほとんど休んだ感じがしませんでした。
毎日更新していたBlogもお休みがちになりました。
夢だった本を書くということ。そのプロセスを心からは楽しめませんでした。
それが私としては意外で、少なからずショックでした。
確かに毎日の仕事と両立させることは大変だけれど、ずっと夢見てきたことなのに、
ひすいさんたちとはとっても楽しかったのに。
創造の苦しみ。
今なら、何かを生み出す・創り出すことは、
自分の内側から何かが溢れるような自然な感覚だという思いがあるのですが、
この時は自分から無理矢理しぼりだして生みだすかのようなプロセスだったというか、とにかく自然というより「頑張っている」感覚でした。
自分から生まれたテーマではなく、
与えられたテーマだったからということもあったのかもしれません。
(ですが、これは商業出版であれば当たり前のことです)
1番の理由は、やはり本を書く以外の仕事の時間に、自分のエナジーを使い果たしてしまっていたことだと思います。
私の本質として、自分の心と向き合う静かな時間がしっかりと必要なのに、それを充分に取れずに創造のプロセスを進めていたこと。
創造のための自分の土台を作れていなかったのです。
そのバランスを知り、学ぶことができた貴重な機会でした。
それに、夢・目標というものは、「誰と叶えるのか、誰と分かち合うのか」ということも、とても大きな意味を持ちますね。
そしてあの日、3.11を迎えます。
次回に続きます!