noteにUPしている内容を再編集してUPします〜(╹◡╹)
まとめ読みでどうぞ!
「自由な心」ってどんな感じをイメージしますか?
今の私が、「心の自由度が上がったなあ」と感じる時は・・・
・基本的に、ごきげんである。
・自分にとって不快だと感じる感情(イライラ、不安、恐れ、罪悪感など)を感じても、すぐ通常モードに戻れる。
・無理なくパートナーを愛しているし、愛されていると「分かっている」。疑ったり、不安に思ったりしない。
・「こうあらねば!」という思いこみがないので、ありのままに全てを受け入れられる。
・自分の本質=好きなこと、表現したいこと、大切なことが分かっている。
・「こうなったらいいな、こうしよう!」という意志や希望はあるが、特定の目標はない。ゆえに目標を達成したかどうかに心は左右されない。あくまで、「今を楽しむ」範囲で、必要があれば作る。
・人生(命)の流れを信頼しているので、未来への不安などは特に感じない。同様に、過去のことを思い返してくよくよすることもほとんどない。どんどん忘れて毎瞬リニューアル!
・自分なりの「真実」が分かっているので、周りと比べない。=らくちん♫
もちろんその時々で向き合うことはありますが、感情に対する処理スピードがものすごく上がったので、あっという間に通過してしまう感じです。基本的に一定。
しかし、私のもともとの心はイライラしやすく心配性で、小学生の頃からそれによる体調不良に悩まされていました。
自分の感情をどう処理していいか分からなくて悔やし泣きしたり、イライラしてモノを投げて壊してオロオロしたり(笑)、イライラして大声で叫びたいのをぐっと我慢しておなかに力をいれてやり過ごす、とかよくやっていました。(結果慢性腹痛+盲腸に)
体を壊して、本当に心が全てなんだ、と悟りました。
自分の心のジェットコースターのような気まぐれに、不安定さに、何よりも自分が一番疲れていました。
自分のことなのに、なぜ自分の思い通りにならないの?
なぜ「感じたいように、感じられない」の?
とにかく自分の心から楽になりたかった。本当に、心底疲れたんです(笑)
(何事もとことんやり切ったり、落ちるところまで落ちると改革もはやいですネ)
この思いから、自分の心と真剣に向き合う旅が始まりました。
ある出来事がきっかけでウツになりかけた、中学1年の時です。
詳しくはこちらに↓
私はなぜこう思うんだろう?こう感じるんだろう?
常に自分にたずねることで、だんだんと自分の心の変化に、外に感情を表現するより速く内側で気付けるようになりました。
この「気付く」というプロセスが、何よりも大切です。このことはまた書いていきますね。
感情に「気付く」ことで、「自分がどんな観念、思いこみ、価値観を持っているか」が分かります。全てそれらに対して「反応」して感情がでてくるわけですから。
あるブランドに価値を置いていれば(=好きなら)、新作を見たら「欲しい」と思うけれど、興味のない人にとってはなんの感情も浮かびませんよね。
パッと見て「綺麗だなあ」とかは思うかもしれないけれど、「絶対手に入れたい!!」というような、強い欲の感情まではうまれないでしょう。
浮気は最低で最悪の所業だ、と思いこんでいれば(笑)、浮気している人を見るだけで「信じられない!」と腹をたてるでしょう。
自由な心になる(正確には自由な心に「戻る」という感覚です)には、感情など表面上の動きよりも、そのおおもとの価値観や思いこみを変化させないと抜本的な解決にはならない、ということですね。
そうでなければ、その時の自分の状況によって差はあっても、同じ反応パターンを繰り返すだけです。
まずは自分の心をよーく観て、感情がどう動き、どこから生まれてきているのかを知る。
それと同時に、
「自分の感じている思いを、ありのまま受けとめる」
「自分の素直な感覚を愛する」
ということを、金盛さんの本から学んだ貴重な中学時代でした。
ちなみに一番最初に買ってよく読んでいた本はこれでした↓
今でも大切にとってあります(^-^)
そしてもうひとつ、重要なことがあります。
それは私たちは「言葉を使って理解している・考えている」ということです。
penso a te prima di dormire
guardando il sole che fa spazio all'imbrunire
in questa terra lontana da casa lontana da te
イタリア語が分かる方にむけて書きました☺︎(うそ)
この文章を見て、何か感情がでてきましたか?おそらく「?????」ですよね。
そう、私たちは「言葉で理解できないものにはなんの反応も起きない」のです。
言葉で理解できないと、自分の持っているどの価値観も、思いこみも刺激されません。
だからなんの感情もうかんでこないのです。
でもこれが「実はさっきの言葉はイタリア語で「あなたは私の宝物だ」って意味だよ!」なんて聞いたら心躍っちゃったりするわけで(笑)言葉から、全ての理解が始まっているのです。当然のことながら。
この文章も、日本語が読めるあなただからこそ「ふむふむ・・・え?そうなの?」など自由に感じることができているのです。
私たちは言葉を通して人とコミュニケーションをはかっているからこそ、「理解できる言葉から連想するもの」に、なかなか自由をもてないのです。
「ふわふわした白いもの→大根」とか連想するのはけっこう厳しい。
(逆に言葉により制限がかかる=明確になるからこそ、周りの人と物語や会話を共有できるんですね)
とは言っても、ある程度の自由はあります。
例えば、
「恋愛→幸せ、楽しい」
「恋愛→つらい、裏切り」
どういう感情・感覚がでてくるかは、自分の恋愛に対する「思いこみ」次第です。
「恋愛=○○」なんて定義はないのだから、各自オリジナルな価値観で、こういうものだと「思いこんでいる」んです。
ではこの思いこみにはどういうものがあるのでしょうか。
どうやって作られてきたのでしょう?
もともと言葉には表現できる限界があります。言葉の限界は、自分の想像力=創造力の限界でもあります。
(その先には、言葉では表現しきれない、捉えきれない、さらに豊かな世界もあります)
言葉を知っていれば知っているほど、感情の機微を表現できるかもしれないけど、やはりそれだけじゃ足りないこともありますよね。言葉をいくら重ねても、うすっぺらく感じてしまう瞬間。特に恋愛中は。
言葉は大事。
でも言葉は万能ではない。
だから言葉を使っていくら考えても堂々巡り、という場合もあります。
本当に理解できる時は「体感」がある。言葉を通してではなく、感覚として腑に落ちるものなのです。
愛を感じる時は、言葉なんかなくても伝わる。ただ抱きしめあっているだけで、感覚として愛されていることが分かる。
だから本当に大切なことは、言葉がなくても大丈夫なのです。体感できるから。
言葉は辞書に乗っているような、一般的な定義を持っています。そしてもうひとつ、私たちが言葉から連想するイメージは各自が自由に持っています。
つまり言葉には、各自オリジナルの制限がかかっています。
言葉で「○○である」と意識した瞬間、それはその人にとって、○○以外ではなくなります。
例えば「私は要領が悪い」と言葉を使って考えてしまえば、「要領がいい自分」は考えられなくなります。 自分がそう思いこんでいるのだから、他の人が「いや、そんなことないよ!」と言っても信じません。
自分にとっては「要領が悪い自分」が真実(現実)になってしまっているのです。
ここで、言葉によってふたつの自分が作り出されているのが分かるでしょうか?
その人は客観的に判断して、普段は仕事をしっかりできる人だとして、周りの人は「仕事ができる、要領がいい人」だと見ています。この現実も「存在している」のです。
でも、たったひとつのミスから本人は「私は要領が悪い」と思いこみ、そういう自分だと意識して、自らを創りだしてしまっている。
言葉が全てを定義し、自分に制限をかけ、思いこみを作りだしてしまっているのです。
中立的に見て、この人は「普段仕事はよくできるが、今回はミスをした」だけだとしても、それで「私は要領が悪い」と本人が思えば、本人の中で現実はそう作られてしまうのです。周りが何をフォローしても心に届きません。
全然太ってないのに「私は太ってる、10キロ痩せなきゃ」と思いこんでる人、
素晴らしい絵を書けるのに「私には才能がない」と思いこんでる人、
十分魅力的なのに「私はモテない、このままじゃ結婚相手なんて見つからない」と思いこんでる人…
もう人生全て思いこみといってもいいほどです(笑)
ありのままの現実は、常に「ただそうである」だけ。
特別な意味も何もありません。
そこに自分の言葉を使って判断・解釈を加えることで感情が生まれ、そのオリジナルな思いこみにより、「その人から見た、その人だけの現実」が生まれます。
だから周りの人と、自分とでは、全く違う世界にいるくらいの差があるのです。思いこみの差です。
どんな時も言葉が先です。
そこにまずは「気づいて」ください。自分が言葉を使って「思いこんでいる」ことに。だからその現実が生まれていってしまうことに。
現実はいつだって中立、ニュートラルです。 「ただ、今その状態」であるだけです。 言葉は、ものごとを「切り分けて」「個別化して」「明確にする」ことが本来の働きですから、言葉が悪いわけではありません。
じゃあどうしたら自分にとって明るい現実を創れるのでしょうか?
「言葉の本質を理解した上で、自分にとってよい(明るい)方向に使う」
これしかありません。
「明るい思いこみ」をすることで、明るい世界を自分の中でひらく。
先ほどの例なら、「今回はミスをしちゃったけど、○○を学べたから良かった。次回からはこうしてみよう」と思うだけでいい。感情的にならなければ、さっさと次にやるべきことが見えてきます。
または「普段の私ならできたはずだけど、今回は体調もよくなかったし、色々重なっちゃったなあ。気をつけよう。周りに助けてくれる人がいて私は本当にラッキーだなあ」と思えば、「ラッキーな自分」という現実をひらいていくこともできます。
思いこみ(意味づけ)は無限です。
どんな自分でも、「私は○○」と意志をもって言葉で意図すれば、その現実をひらくことができるのです。 最初から決まっていることは何ひとつありません。
自分の心ひとつで意識的に決めて創りだせるのです。見たい世界を。
コロナで一変した今この状況を、あなたならどう表現するでしょうか。
起きた出来事の意味づけに関して言えば、こちらの本が分かりやすくオススメです!
ミーニング・ノート 1日3つ、チャンスを書くと進む道が見えてくる
普段、自分と心の中でどんな言葉を使って会話していますか?
そのやりとりが、そのままあなたの現実世界を創りだしているのです。言葉に、必要以上に余計なことをさせないように(笑)、気をつけて観察しましょう。
限界のある言葉(できない、無理、分からない)は使わないようにしましょう。
使った瞬間、「できない」現実がうまれます。
言葉が先です。思いこみが先です。
どうせなら楽しくて明るい思いこみを採用しましょうね♡
もう一歩進んで、
「言葉を通して世界を定義しない」
これができると心は本当に穏やかになります。
ありのままをそのまま受け入れてみる。いちいち解釈しない。「このこと(状況)になんの意味が?」とかぐだぐだ考えない。
ただその状態である、ことを知る。それだけで満足する。言葉を使って世界を二分(ほんとは何万分)しない。
必要だと感じることは行動として淡々とやります。でも状況を裁かない。
慣れるとこの感覚、心地いいです。
地球には全てに適用できる正しさもなければ、勝った、負けた、好き、嫌い、損した、得した、あらゆる状態が「一時的」です。
今の自分には、今起きていることが良いことなのか、最悪なことなのかすら、全く分からないのです。
未来の自分からみたら、「あのことがあったから、成長できたなあ、良かったなあ」と振り返れることは結構ありますよね。
全ての状況・出来事には無限の解釈性、無限の可能性があって、自分の好きなように、思いたいように、自由に「思える」。
「いやいや、思わされてるんだし!」と感じることでさえ、本当は「自分で選んでいる」。
「あんなことしなければよかったなあ」というような後悔の思いや、イヤな気持ちがまだ湧いてくる出来事があったなら、今この瞬間に、幸せな未来の自分を想像してみてください。
その自分なら、この出来事をどう解釈するでしょうか?
「常識とは18才までに集めた偏見のコレクションのことをいう」
アインシュタインの言葉です。
常識=思いこみと置き換えてもいいかもしれません。常識なんて時代とともに移り変わっていくものです。実体のない「世間」に合わせようとしたり、評価されようとすればするほど、心は苦しくなるだけです。
思いこみの話、次回に続きます!