自分が時間をかけて、心を込めて創りあげた作品なのに、
「見て(聞いて、読んで)くださーーーい!」
「これめっちゃいいんです!!」
「私すごく気に入っているんです!!」
素直にこうは感じられない…
そんな微妙な感覚を、クリエイティブに活動している方なら感じたことがあるのではないでしょうか。私の場合、作品はこうして書いた「記事」や「本」ですね。
自分の作品を発表するということは、恥ずかしさやプライドや、いろんな思いが交錯します。まずは「自分で自分を満たす」ことが出来ていないと、自分の作品を心から愛するということが出来ません。「不十分な自分が作った不十分な作品」というような、厳しい目を向けてしまいがちです。
ちょっと非難されたり、身近な人に微妙な反応をされると、もう創り続けるのをやめてしまったりします。
まず自分を愛すること。
そして自分の作品を、「その時点でのベスト」として大切にすること。
「全ての人に好かれる作品」はあり得ないということを、しっかり知っておくこと。
(万人受けするようなモノが逆に苦手な人もいます)
自分が心から満足したものが、例えば「売れる」とは限らない。
もっと世間に迎合した方が受け入れられるかもしれない…
こんな風に感じる時、それは心が「創りだす喜び」と「評価されたいという思い」がぐちゃぐちゃになっています。
私はどんな作品も、まずは「表現されたがっているもの(エナジー)」が背後にあると感じます。ある文章、メロディ、絵、物語、ダンス、アクセサリー…
何か「すでに完璧にデザインされた下書き」があるかのようです。
何度も聞いている大好きなTED TALK
Your elusive creative genius | Elizabeth Gilbert
「自分が」ゼロから何かを創りだすわけではない…長く何かをやり続けている方なら、同じような感覚を感じたことがあるかもしれません。私はあくまで「媒体」なのだと。
その感覚を大切にしていると、ムダに苦しむことがなくなります。「私が」全て創りだしていると思えば、その仕上がりや評価に一喜一憂しますが、そうではないのだから。エリザベスさんのいう「心理的な距離」ですね。
急かさず、タイミングを逃さず、表現したいと思うものに取り組む。
できる限り私的な期待を入れずに、「表現されたがっているもの」の声を聴く…そうすると然るべき時に形が整うのです。
私は書きたいテーマがふと浮かび、それを形にしているだけで、あまり計画的にコンテンツを考えたりはしません。
テーマが大きいと大体のコンテンツをイメージして切り分けて、シリーズものになったりしますが、その間も違うテーマが降りてきたら下書きに入れて、少しずつ声を聴いて形にしていきます。
この時間は書く!と決めている時間の中で動いているので(大抵娘のいない午前中のみ)、それ以外はちゃんと「これを形にしたい」という繊細な心の感覚を受け取れるよう、リラックスすることが大事なことです。
私にとって、「書きたいと思うこと」が浮かぶことは、日常の中の最大のプレゼントです。「表現されたがっているもの(エナジー)」が、私を選んでくれたのだから。
作品は何よりもまず、愛とエナジー(時間、労力)を吹き込まないと完成しません。
心から愛しているものは、誰かに届く。
私はそう感じています。
それは「世間的な評価」や「成功」に繋がるものではないかもしれません。でも本当に自分がしているクリエイティブな活動を愛しているのなら、それをやらないことの方がつらいのです。
人生のタイミングによっては、「創りだす喜び」と「評価されたいという思い」が、なかなか切り離せないかもしれません。若い時は特にそうでしょう。
でも心を暗くしながら作った作品は、やはりどこかでその暗さがでてしまうと思うのです。まずはクリエイティブな活動だけで自分の心(と生活)全てを満たそうとするのではなく、その他のこと(日常生活、人間関係、仕事など)とバランスをとりながら、「自分の本質を知る」「本質を受けとめて愛する」時間を十分にとってほしいと思います。
どんな時も、まずはそれをすることの純粋な喜びが湧き上がる場所へ戻ってみることです。
心から愛していると感じられる作品ができた時、それをすぐに表に出す必要はないのです。自分のためだけにまず創る…それも幸福なことではないでしょうか。
私は人生で1冊だけ、自分が心から「書ききった!」と満足できて、娘にも読んでもらいたいと思う本を創ることが大きな目標のひとつです。
何かヒントになりますように。
お互いに心地よく創り続けましょうね(^_^*)
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